今朝、急な眼の出血で近くの眼科へ駆け込んだ。
初めて行くクリニックだったが、症状の緊急性を理解してもらい、
比較的スムーズに診察に進むことができた。
だが、この受診の体験と、日頃の自分の職業(医療IT)から見える現場の実態、
そして中医協(中央社会保険医療協議会)の議論を聴いていると、
日本の医療が抱える構造的な歪みがどうしても気になってしまう。
1. 外来は“軽症患者”で溢れ、本来重症を診るべき医療機関の機能が崩れている
眼科に限らない。
耳鼻科も、消化器内科も、循環器内科も、
どこに行っても外来は軽症の患者であふれている。
- 「目やにが出た気がする」
- 「ちょっと喉が痛い」
- 「胸がチクッとした」
もちろん受診する権利はある。
だが、“自由にどこへでも受診できる日本の医療” は、
結果として大学病院でさえ軽症患者でいっぱいになり、
重症患者が埋もれかねない構造を生んでいる。
本来、大学病院は:
- 重症
- 希少疾患
- 高度治療が必要な人
- 地域の医療機関では対応困難な症例
こうした“濃い症例”だけ集まる場であるはずだ。
だが現実はまったく逆で、
大学病院が「便利な総合外来」になってしまっている。
そりゃ、医療崩壊するよ──
と感じざるを得ない。
2. 外来の“軽症依存”が医師の診察の質を奪う
日本の医師は1日40〜60人を診ることも珍しくない。
その9割が軽症または一時的症状の患者だ。
その環境に慣れると、
医師は“省エネモード”の診療が身につく。
- パターン化された問診
- 一般論の説明
- 深掘りしない病歴聴取
- 断言しない(できない)説明
- リスクを避ける言い回し
でも、私のように眼圧コントロールのある患者が来ると、
医師は一瞬、空気を変える。
これは医師の表情に出ないようで出る。
診察モードが切り替わる瞬間は、敏感な患者には分かる。
逆に言えば、
普段がいかに“軽症ルーティン診療”になっているかが分かる。
そしてその切り替わりこそが、
「本来はもっと深く診れる医師が、日常診療に甘えてしまっている」
という構造を露呈させる。
私はその瞬間が少し面白く感じることがある。
3. 医師が一般論しか言わないのは“防衛本能”でもある
今の時代、患者はネットで大量の医療情報を持ってくる。
SNSで医師の発言が拡散される。
医療訴訟やクレームのリスクも高い。
だから医師は“断言”できなくなる。
- 一般論を話す
- 曖昧になる
- 深い見立ては控える
これは医師が悪いわけではない。
情報過多社会が医師を萎縮させた結果なのだ。
4. 私がマイナ保険証で情報提供を拒む理由
私は医療ITを推進する仕事をしているが、
自分が患者として医療にかかるときは、
診療情報・薬剤情報を共有しない設定にしている。
理由は単純。
医師には、患者から“自分の力で”情報を取りに来てほしいから。
機微な情報を最初から自動で渡すと、
問診力が鈍る。
医師はそのために6年学び、研修し、今も研鑽を積んでいる。
ITが“医師の力”を奪うのは本末転倒だと私は思っている。
もちろん、診療の幅を広げるためにITを活用するのは賛成だ。
でも、ITが医師の思考の代わりになってはいけない。
5. 中医協を聴くと、日本の医療の未来がますます不安になる
今日の議論でも繰り返し出ていた。
- 「医療機関の経営が危ない」
- 「外来数が減って収益が維持できない」
- 「地域医療が持たない」
医療機関が経営不安を抱えれば、
当然 患者を“数”で集める方向に走る。
するとどうなるか?
- 外来はさらに軽症患者で埋まる
- 医師の時間が奪われる
- 重症患者は十分に診てもらえない
- 医師はますます萎縮し、一般論しか言わなくなる
そしてこうして、
日本の医療は静かに崩れていく。
6. 私が心配しているのは、“医療の本質が失われていくこと”
医療は本来、
- 深い問診
- 個別の見立て
- 医師の経験と洞察
- 患者の背景理解
- 丁寧な診察プロセス
これらの積み重ねによって成り立つものだ。
だが、外来の軽症依存と医療機関の経営不安は、
医師からこの“本質”を奪っていく。
そして患者もまた、
自分が本当に必要とする医療を受けられなくなる。
いろいろ問題はある。
でも私は、日本の医療がどこへ向かうのか、本気で心配している。
◆ 結び
今日の眼科受診をきっかけに、
ずっと胸の中にあった違和感が一つにつながった。
「このままでは、日本の医療は本来の姿を失う」
医療ITを推進する立場として、
そして患者として、
これからもこの問題を見続けていきたい。