カテゴリー: 外来医療の構造問題

  • 診療所で「診られない」と言われた日

    ――医療と患者のすれ違いについて考えたこと

    今日は、耳鼻咽喉科の診療所を受診した。

    喉の違和感で、これまで地域の基幹病院に一年ほど通ってきた。
    異常が見つかり、経過を追い、いったん消失したことから、
    「今後は診療所でフォローアップでよい」という判断になり、紹介状を書いてもらった。

    その流れで診療所を受診し、今後は継続的にフォローアップしてもらう予定だった。
    しかし、2回目の診察(1か月後)で再度異常が見つかり、
    総合病院への紹介状を書いてもらうことになった。

    改めて総合病院を受診したところ、
    「これまで見ていた症状の再燃であり、今後は診療所でフォローアップでよい」
    との判断となり、再び診療所への紹介状が書かれた。
    そして今日、その診療所を再受診した。

    結論から言うと、フォローアップは引き受けてもらえなかった。
    「うちでは生検の設備がない」「フォローはできない」「もう一度総合病院で診てもらった方がいい」
    そういう説明だった。

    こちらとしては、治療を求めていたわけでも、生検を強く希望していたわけでもない。
    ファイバーで定期的に観察してもらい、変化があれば再度病院に戻る。
    その程度のフォローアップを想定していた。

    しかし、話は噛み合わなかった。

    ファイバーで見てほしいと伝えると「患者さんの負担になる」と言われ、
    生検は外注という形もあるのでは、と話すと「できない」と返された。
    次第に、説明ではなく押し切るような空気になり、こちらも感情的になりかけた。

    結局、その日の所見を紹介状に書いてもらうことになり、ファイバーは実施された。
    説明も受け、自分のスマホに記録用として写真も撮らせてもらった。
    それで診察は終わった。

    その後も、受付や看護師とのやり取りが続いた。
    紹介状の宛名、会計の扱い、紹介状の受け取り時に再診扱いになるかどうか。
    ひとつひとつは小さなことだが、全体としてどこかちぐはぐで、噛み合わない感覚が残った。

    特に印象に残ったのは、診察が終わった後のタイミングで、「善意の確認」があったことだ。
    医療の場では、ときに「善意の確認」が
    本人にとっては負担になることがある。
    この日も、そう感じる場面があった。


    聞くこと自体が悪いわけではない。
    ただ、そのタイミングで、その文脈で聞かれる理由が分からず、
    答えることで自分に不利になる予感だけがして、答えなかった。

    14時に来院し、15時前には会計を終えて帰宅した。
    時間にすれば短い出来事だ。
    でも、疲労感はかなり大きかった。


    帰宅してから、今日のやり取りを振り返り、考えた。

    まず気づいたのは、「耳鼻咽喉科」という標榜と、実際の診療内容のズレだった。
    多くの診療所で日常的に診ているのは、耳と鼻が中心だ。
    喉といっても、口を開けて扁桃や咽頭を見るところまでが大半で、
    喉頭ファイバーで声帯や下咽頭を継続的にフォローする体制は、実はかなり限られている。ただファイバースコープの設備はある。

    「耳鼻咽喉科なら喉も診られる」と患者は思う。
    でも現実には、「喉頭を日常的に診る設計」になっていない診療所も多い。

    そう考えると、今回の出来事は、誰か一人が悪いという話ではないのかもしれない。

    医師は、自分の引き受けられる責任の範囲を守ろうとした。
    看護師や受付スタッフも、それぞれの役割の中で対応していた。
    ただ、その結果として、患者である自分には「なぜそうなるのか」が十分に説明されず、
    「診られない」という結論だけが残った。

    ここで、もう一つの気づきがあった。

    医療者は、意識していようがいまいが、患者をコントロールする方向に動く。
    それは悪意ではなく、命と健康を扱う以上、リスクを管理しようとする自然な動きだと思う。

    ただ、その構造が見えないまま体験すると、人は簡単に医療不信に傾く。
    なぜ断られたのか分からない。
    なぜ話が噛み合わないのか分からない。
    その積み重ねが、「医師は信用できない」という感情に変わっていく。

    医療の知識がない人ほど、そうなりやすいだろう。

    自分自身は、今回の体験で医療不信になったわけではない。
    むしろ、医療の役割分担や限界を、あらためて理解した気がしている。

    診療所は、軽症で定型的な対応に最適化された場所だ。
    薬をもらう、短期で完結する相談をする。
    そういう使い方が合っている。

    一方で、判断がグレーな状態を長期にフォローする医療は、
    最初からそれを引き受ける覚悟と設計のある場所を選ばないと、
    患者も医療者も疲弊する。

    最近、工学部出身の医師や、医師免許を持って起業する人が増えているのも、
    こうした構造的な限界を内側から感じている人が増えた結果なのだと思う。
    臨床だけでは変えられないものを、別のレイヤーから変えようとしているのだろう。

    医師免許が、週に一度の非常勤で生活を支えられるほど強いセーフティネットになっていることも、
    医療を支えている一方で、歪みを生んでいる面がある。
    これは個人の善悪ではなく、制度の話だ。

    結局のところ、今日感じた違和感は、
    「医師が悪い」という話でも、「自分が悪い」という話でもない。

    医療の設計と、患者の期待が、ずれていただけだ。

    そう理解したことで、少し楽になった。

    これからは、医療に多くを期待しすぎず、
    役割を見極めて、必要なときに必要な場所を使う。
    それでいいのだと思う。

    今日は嫌なことも多かったが、
    吐き出して、考えて、ここで一区切りつけたい。

  • 外来が軽症患者で溢れる日本の医療は、どこへ向かうのか

    今朝、急な眼の出血で近くの眼科へ駆け込んだ。
    初めて行くクリニックだったが、症状の緊急性を理解してもらい、
    比較的スムーズに診察に進むことができた。

    だが、この受診の体験と、日頃の自分の職業(医療IT)から見える現場の実態、
    そして中医協(中央社会保険医療協議会)の議論を聴いていると、
    日本の医療が抱える構造的な歪みがどうしても気になってしまう。

    1. 外来は“軽症患者”で溢れ、本来重症を診るべき医療機関の機能が崩れている

    眼科に限らない。
    耳鼻科も、消化器内科も、循環器内科も、
    どこに行っても外来は軽症の患者であふれている。

    • 「目やにが出た気がする」
    • 「ちょっと喉が痛い」
    • 「胸がチクッとした」

    もちろん受診する権利はある。
    だが、“自由にどこへでも受診できる日本の医療” は、
    結果として大学病院でさえ軽症患者でいっぱいになり、
    重症患者が埋もれかねない構造を生んでいる。

    本来、大学病院は:

    • 重症
    • 希少疾患
    • 高度治療が必要な人
    • 地域の医療機関では対応困難な症例

    こうした“濃い症例”だけ集まる場であるはずだ。

    だが現実はまったく逆で、
    大学病院が「便利な総合外来」になってしまっている。

    そりゃ、医療崩壊するよ──
    と感じざるを得ない。


    2. 外来の“軽症依存”が医師の診察の質を奪う

    日本の医師は1日40〜60人を診ることも珍しくない。
    その9割が軽症または一時的症状の患者だ。

    その環境に慣れると、
    医師は“省エネモード”の診療が身につく。

    • パターン化された問診
    • 一般論の説明
    • 深掘りしない病歴聴取
    • 断言しない(できない)説明
    • リスクを避ける言い回し

    でも、私のように眼圧コントロールのある患者が来ると、
    医師は一瞬、空気を変える

    これは医師の表情に出ないようで出る。
    診察モードが切り替わる瞬間は、敏感な患者には分かる。

    逆に言えば、
    普段がいかに“軽症ルーティン診療”になっているかが分かる。

    そしてその切り替わりこそが、

    「本来はもっと深く診れる医師が、日常診療に甘えてしまっている」

    という構造を露呈させる。
    私はその瞬間が少し面白く感じることがある。


    3. 医師が一般論しか言わないのは“防衛本能”でもある

    今の時代、患者はネットで大量の医療情報を持ってくる。
    SNSで医師の発言が拡散される。
    医療訴訟やクレームのリスクも高い。

    だから医師は“断言”できなくなる。

    • 一般論を話す
    • 曖昧になる
    • 深い見立ては控える

    これは医師が悪いわけではない。

    情報過多社会が医師を萎縮させた結果なのだ。


    4. 私がマイナ保険証で情報提供を拒む理由

    私は医療ITを推進する仕事をしているが、
    自分が患者として医療にかかるときは、
    診療情報・薬剤情報を共有しない設定にしている。

    理由は単純。

    医師には、患者から“自分の力で”情報を取りに来てほしいから。

    機微な情報を最初から自動で渡すと、
    問診力が鈍る。

    医師はそのために6年学び、研修し、今も研鑽を積んでいる。
    ITが“医師の力”を奪うのは本末転倒だと私は思っている。

    もちろん、診療の幅を広げるためにITを活用するのは賛成だ。
    でも、ITが医師の思考の代わりになってはいけない。


    5. 中医協を聴くと、日本の医療の未来がますます不安になる

    今日の議論でも繰り返し出ていた。

    • 「医療機関の経営が危ない」
    • 「外来数が減って収益が維持できない」
    • 「地域医療が持たない」

    医療機関が経営不安を抱えれば、
    当然 患者を“数”で集める方向に走る

    するとどうなるか?

    • 外来はさらに軽症患者で埋まる
    • 医師の時間が奪われる
    • 重症患者は十分に診てもらえない
    • 医師はますます萎縮し、一般論しか言わなくなる

    そしてこうして、
    日本の医療は静かに崩れていく。


    6. 私が心配しているのは、“医療の本質が失われていくこと”

    医療は本来、

    • 深い問診
    • 個別の見立て
    • 医師の経験と洞察
    • 患者の背景理解
    • 丁寧な診察プロセス

    これらの積み重ねによって成り立つものだ。

    だが、外来の軽症依存と医療機関の経営不安は、
    医師からこの“本質”を奪っていく。

    そして患者もまた、
    自分が本当に必要とする医療を受けられなくなる。

    いろいろ問題はある。
    でも私は、日本の医療がどこへ向かうのか、本気で心配している。


    ◆ 結び

    今日の眼科受診をきっかけに、
    ずっと胸の中にあった違和感が一つにつながった。

    「このままでは、日本の医療は本来の姿を失う」

    医療ITを推進する立場として、
    そして患者として、
    これからもこの問題を見続けていきたい。