カテゴリー: 現代日本の断面

  • エリートの肩書きと、「腐らない」人のこと

    Xを眺めていたとき、

    ある投稿が目に留まった。

    開成高校から東京大学へ進んだある政治家(現職大臣)について、

    「エリート街道をまっすぐ歩いてきても腐っていない」という趣旨のコメントだった。

    その言い方が少し柔らかくて、

    揶揄でもなく、持ち上げすぎることもなく、

    ただ静かに“人柄”に触れている感じがよかった。

    読みながら、

    自分の中のエリート像にある“硬さ”みたいなものが

    すっと溶けていった。

    エリートは権力側に寄る、という思い込み

    開成から東大。

    官僚や大企業の幹部、政治家へと進む人が多い道だ。

    そこを歩む人に対して、

    「民意より権力に寄るのではないか」

    「世間の感覚から離れていくのではないか」

    といった偏見めいたイメージがついて回る。

    自分の中にも、

    そのステレオタイプは確かにあった。

    けれど、あの投稿の言葉は、

    その単純な図式をやんわり裏切るものだった。

    学歴や経歴より、“どこを向いて立つか”

    肩書きは、

    その人が通ってきた道を説明してくれるけれど、

    “何を見るか”“どこに心を置くか”までは決めない。

    同じ道を歩んでも、

    そこに染まりきる人もいれば、

    距離を取りながら誠実さを失わない人もいる。

    政治の世界では特に、

    声の大きさや派手さに注目が集まりがちだ。

    でも生活を支える政策は、

    静かに積み上げていく作業の方が多いし、

    そこに必要なのは派手さではなく、

    自分の立場に酔わない感覚だと思う。

    “腐らない”という言葉の強さ

    あの投稿者が使った「腐っていない」という表現には、

    少しきつさがあるけれど、

    そこにこそ真意があるように感じた。

    環境に流されない人

    立場に酔わない人

    自分の価値を外に預けない人

    そういう人が政治にも必要なのだと

    改めて思った。

    そしてその資質は、

    学歴でも経歴でも測れない。

    静かに仕事をしているだけで、

    周囲の空気が変わるような人がいる。

    その存在を知ることは、

    何か小さな救いみたいなものになる。

    リンクは貼らないけれど

    きっかけになった投稿は、あえてここには載せない。

    ただ、

    「開成から東大へ進んだ、あの政治家の最近の姿勢についての言葉」

    とだけ書いておく。

    ピンときた人は、

    きっと同じ投稿を見ていると思う。