カテゴリー: 社会の構造

  • なぜ日本人は英語を話せないのか?話さないのか?

    英語を大人になって再び学んでみてふと思ったことがある。それを書き留めてみようと思う

    ──能力ではなく「言語文化」の問題

    日本人は英語が苦手だ、とよく言われる。

    学校教育が悪い、発音が難しい、恥ずかしがり屋だから──理由はいくつも挙げられる。

    けれど、少し距離を取って眺めてみると、これは能力の問題ではなく、言語文化の設計差だと感じる。

    日本語は「感覚共有型」の言語

    日本語は、とても高度な言語だ。

    主語を省略できる 結論を曖昧にできる 行間を読む・読ませることが前提 空気や文脈が意味を補完する

    「ちょっと不思議だなと思う」

    この一言で、驚くほど多くの情報が共有できる。

    日本社会では、これは成熟したコミュニケーションとして機能してきた。

    英語は「言語化前提」の言語

    一方、英語(特にビジネス英語)は構造が違う。

    主語と立場を明確にする What / Why / How を言語化する 言わないことは存在しない 曖昧さは理解不足や不誠実と受け取られやすい

    英語圏では、

    言語化できない意見は、存在しない意見

    として扱われることが多い。

    日本人は「話せない」のではなく「話さない」

    多くの日本人は、英語を

    読める 聞ける 文法もある程度分かる

    それでも話さない。

    それは語学力の不足ではなく、

    「言い切ることへの心理的ブレーキ」が強く働くからだ。

    日本語では、

    断定しないことが配慮 余白を残すことが知性 空気を壊さないことが美徳

    この美徳が、英語では足枷になる。

    平成生まれは、なぜ違うのか

    近年、若い世代は比較的英語に抵抗が少ないと言われる。

    平成後半〜令和世代は、

    SNSで常に言語化している 自分の立場を明示する訓練を受けている 正解より「自分の意見」を求められてきた 多文化・多価値観に慣れている

    つまり、

    英語的思考様式を、日本語の中で先に身につけている。

    だから英語への移行がスムーズなのだろう。

    どちらが優れている、ではない

    昭和世代は、

    日本語では非常に高度 英語では沈黙しがち

    平成後期以降の世代は、

    日本語では雑に見えることもある 英語では積極的

    これは優劣ではない。

    最適化されている環境が違うだけだ。

    大切なのは「切り替え」

    日本では、感覚で語ることが強い。

    海外では、言語化しないと始まらない。

    必要なのは、どちらかを捨てることではなく、

    相手の文化に合わせてモードを切り替えること。

    感覚で置く言葉も、

    論理で説明する言葉も、

    どちらも本来は武器になる。

    結論

    日本人が英語を話せないのは、能力不足ではない。

    日本語があまりにも高度な「空気共有言語」だからだ。

    そして、

    英語は勇気の問題ではなく、

    思考と言語の設計を切り替える技術の問題なのだと思う。

    これは語学論ではなく、文化論として考えた方が、ずっと腑に落ちる。

  • エリートの肩書きと、「腐らない」人のこと

    Xを眺めていたとき、

    ある投稿が目に留まった。

    開成高校から東京大学へ進んだある政治家(現職大臣)について、

    「エリート街道をまっすぐ歩いてきても腐っていない」という趣旨のコメントだった。

    その言い方が少し柔らかくて、

    揶揄でもなく、持ち上げすぎることもなく、

    ただ静かに“人柄”に触れている感じがよかった。

    読みながら、

    自分の中のエリート像にある“硬さ”みたいなものが

    すっと溶けていった。

    エリートは権力側に寄る、という思い込み

    開成から東大。

    官僚や大企業の幹部、政治家へと進む人が多い道だ。

    そこを歩む人に対して、

    「民意より権力に寄るのではないか」

    「世間の感覚から離れていくのではないか」

    といった偏見めいたイメージがついて回る。

    自分の中にも、

    そのステレオタイプは確かにあった。

    けれど、あの投稿の言葉は、

    その単純な図式をやんわり裏切るものだった。

    学歴や経歴より、“どこを向いて立つか”

    肩書きは、

    その人が通ってきた道を説明してくれるけれど、

    “何を見るか”“どこに心を置くか”までは決めない。

    同じ道を歩んでも、

    そこに染まりきる人もいれば、

    距離を取りながら誠実さを失わない人もいる。

    政治の世界では特に、

    声の大きさや派手さに注目が集まりがちだ。

    でも生活を支える政策は、

    静かに積み上げていく作業の方が多いし、

    そこに必要なのは派手さではなく、

    自分の立場に酔わない感覚だと思う。

    “腐らない”という言葉の強さ

    あの投稿者が使った「腐っていない」という表現には、

    少しきつさがあるけれど、

    そこにこそ真意があるように感じた。

    環境に流されない人

    立場に酔わない人

    自分の価値を外に預けない人

    そういう人が政治にも必要なのだと

    改めて思った。

    そしてその資質は、

    学歴でも経歴でも測れない。

    静かに仕事をしているだけで、

    周囲の空気が変わるような人がいる。

    その存在を知ることは、

    何か小さな救いみたいなものになる。

    リンクは貼らないけれど

    きっかけになった投稿は、あえてここには載せない。

    ただ、

    「開成から東大へ進んだ、あの政治家の最近の姿勢についての言葉」

    とだけ書いておく。

    ピンときた人は、

    きっと同じ投稿を見ていると思う。